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坂東眞砂子

という直木賞作家のエッセイが話題です。
どんなエッセイかと言うと、「猫を飼っているが、飼い猫の権利を侵害したくないので去勢はしないで産まれた子猫をすぐに穴に放り投げて殺すことを選択して実行している」という自慢?話し。

予想できる事態、反響を理解した上で持論を展開された氏の勇気には感服するも、言ってることに賛同出来る人は少ないでしょうなぁ。
動物の虚勢(避妊手術)に対する是非は意見の分かれるところでしょうが、要は増えては困る場合、しかも「産ませる前に処置をする」か「産ませておいて殺すか」の選択しか無い場合にどちらをとるかということ。氏は後者を選択し、「自分の育ててきた猫の『生』の充実を選び、社会に対する責任として子殺しを選択した。もちろん、それに伴う殺しの痛み、悲しみも引き受けてのことである」と仰っているが、殺しの痛み、悲しみも引き受けてくださるのは結構だが、一番哀れなのは殺される側だろう。人間に例えれば「人工中絶するより赤ちゃんを産まれてから殺す方が良い」と言ってるのと同じに聞こえる。もちろん氏の論理の根本は人間と動物は違うという立場にたっているのだろうし、実際違うのは事実だろうが、人間の命と多種の命(の価値)にここまで明確に差をつけてしまう考え方はいかがなものか。
「愛玩動物として獣を飼うこと自体が、人のわがままに根ざした行為なのだ」とも仰っているのだから、そもそも飼わなきゃいいんじゃないか?

それに実は「産ませる前に処置をする」か「産ませておいて殺すか」の選択しか無いってこと自体がおかしい。普通の神経を持って動物を飼う人間は、「産ませる前に処置をする」か「産ませておいて里親を探すか」もしくは「子供もちゃんと飼うか」を選択すんじゃねぇかなぁ。

私も猫飼ってますが、もちろん迷い無く去勢してます。

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2006年08月26日 02:15に投稿されたエントリのページです。

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